いつも笑顔でいい顔で

毎日を楽しく笑って過ごしたい

ユーミンの曲で心を潤す

窓の外は青空、風もなく最高の天気だ

今朝の散歩の後半では、脳内に何か気持ち良くさせてくれる物質が流れてくれた

最近味わえなかったこの感覚

いつになく清々しい気分

定年退職後は、ストレスを感じることは殆どなかった

しかし、最近、自治会の役員選出を巡り、面倒なトラブルに巻き込まれ、やや重いストレスを抱え込んでいる

「やりたくないことはやらない生活」を貫くことも難しいことだと考えさせられる今日この頃  ~ このことについては別途書いてみたい ~

 

今日のBGMは、「ユーミン万歳!~松任谷由美50周年記念ベストアルバム~]

ユーミンの曲を初めて聞いたのは何時頃だったろうか?

今でも、はっきりと覚えているのは、ニッポン放送(AMラジオ)から流れる「やさしさに包まれたなら

1970年代の毎週日曜日の朝

「楽しい日曜日の朝、いかがお過ごしですか」と、

ロイ・ジェームスの声で始まる「不二家歌謡ベストテン」

この番組で、「不二家ソフトエクレア」のCMソングとして流れていたのがユーミンの「やさしさに包まれたなら

その頃の情景は、今でもはっきりと覚えている

この曲は、1974年のリリースだそうだ

ということは、僕が中学2、3年の頃だ

僕が始めて買ったユーミンのアルバムは「ユーミン・ブランド」

このアルバムにも「やさしさに包まれたなら」が収録されていた

中学校の同窓会のカラオケで、初恋の彼女が歌っていたのもこの曲だったっけ

 

村井邦彦(作曲家・音楽プロデューサー)さんが、日経新聞私の履歴書(第18回)」でユーミンとの出会いを紹介していた

彼が、初めてユーミンと出会ったのは、1971年1月

千駄ヶ谷の新しいビクタースタジオで、ユーミン加橋かつみに曲を提供し、その録音のチェックをしていたとき。アルファの専属作家にならないかとユーミンを誘った。彼女はまだ高校生で良家の子女だろうと思わせる礼儀正しさを持っていた。謙虚で控えめだが自分の意見ははっきりというタイプだった。僕が一番好きな曲は「雨のステイション」。こぬか雨の降る駅で別れた恋人を思う歌だ。雑木林があり、小川が流れ、武蔵野らしい風景が浮かぶ。ユーミンの感性は武蔵野の自然にはぐくまれたのではないか。

 ファーストアルバム「ひこうき雲」の制作に当たっては、細野晴臣を起用した。細野が松任谷正隆を連れてきて録音が始まった。厳しい歌入れに涙を流すユーミン松任谷が一輪の花を贈って慰めた。松任谷は、ユーミンを八王子の自宅まで送るようになり、その思い出を彼女が曲にしたのが「中央フリーウエイ」だった。」(ざっとこんな感じ、若干文章を編集しています。)

と回顧している

 

「中央フリーウエイ」誕生の背景はこんなことだったのか、知らなかった

これからも、ユーミンの曲を聴いて、懐かしい日々を想い出し心を潤したい

そして、出来るだけストレスを溜めず、楽しい人生を歩んでいきたいと思う

 

↓ 青空に紅梅 ~我が家の庭で...... 蜜蜂が飛んでいるのが見えるでしょうか?~