気持ちのいい晴天の
ある日の昼下がり
僕は一人リビングで庭を眺めながら
ゆったりとした気分で淹れたての珈琲を飲んでいた
すると、”ピンポーン”というインターホンのチャイム
気持ちのいい貴重な時間を奪われたようで
ちょっとイラっとしながら「はい」と返答すると
「突然ですみません、聖書に興味はありますか」という女性の声
「いいえ、今、とりこんでますので」といってつれなく切ると
直ぐにまた”ピンポーン”の音
「すみません、門前に飾ってある鉢を踏んで割ってしまったんです。ご免なさい。」という同じ女性の声
「分かりました、大丈夫ですからそのままにしておいてください」と僕
インターホンの画面越しに、不安げな二人の女性が立っている
一人は口に手を当てて、ちょっと、戸惑った様子
もう一人は、割れてしまった小さな陶器の鉢を手で触っている
間もなく諦めて帰っていった様子
僕は、リビングにもどって庭を眺めながら
「鉢を置く場所が悪かったかも」
「ちょっと、対応が冷たかったかな」
と反省はしたものの、割れた鉢は安価(2~3百円程度)なものなので
そのことについては直ぐに忘れてしまった
そして翌朝の9時頃に
また、”ピンポーン”というインターホンの音
妻が「はい」と応対すると
「昨日はご迷惑をおかけしました、ちょっとよろしいですか」と昨日の女性の声
事情を知らない妻が「はい今行きます」と怪訝そうに返答する
それを見ていた僕
咄嗟に玄関を開けて出ていくと
「これ、お詫びのしるしです。昨日、来ようかと思ったのですが、遅くなってしまいどうもすみません。」
と、”お詫び”という、のし紙のついた一升瓶を僕に差し出す女性
「そんな、わざとじゃないんですから、気にしないでください」と僕
「いいえ、本当に申し訳ありませんでした」と強引に一升瓶(酒)を差し出す
「ここの家の人はとてもいい人だよ、と、”○○さん”から聞いています」と言って
ちょっと早口で宗教活動の内容について説明して帰っていった
妻に事情を話すと
「宗教活動上でのことだからそのままにしとくわけにはいかなかったのかしらね」
と同情している様子
数百円の鉢で数千円と思しき日本酒をゲット
僕としてはちょっと得した気分でもある
「ここの家の人はとてもいい人だ」と言ったという”○○さん”が誰なのか僕は知らない
今までにも何回か我が家に布教に訪れた人がいるが
”○○さん”とは、そのような人なのかもしれない
それとも、社交辞令?
そもそも”○○さん”はいないのかも?
「何処を捉えて”いい人”と言ったんだろうね?」
と僕が言い
「”いい人”って言われると、ちょっと、嬉しいね」と妻が言う
直ぐに忘れてしまう程の前日の些細な出来事が
女性のお詫びの来訪により、翌日にはそれが深く印象に残る出来事に変わった
人を褒めることで得られる効果について改めて考えさせられた出来事だった
例えそれが社交辞令であったとしても
↓ お詫びとしていただいたお酒