いつも笑顔でいい顔で

毎日を楽しく笑って過ごしたい

郷愁を誘う ”FM東京” ”ユーミン”

さっき降り出した雨が上がった

南向きの窓から爽やかな風が吹き込み

今は青空が見える

アパートの屋根の上を白鷺が一羽優雅に旋回している

 

先日の金曜日、車で出かけたときに、カーラジオから聞こえてくるちょっと低めの独特な声

ユーミン

この時間帯に放送しているのか

番組名は”ユーミンコード”

午前11時から30分の放送だそうだ

その時の季節感や、気になるテーマをピックアップして曲をかける番組だという

10年程前から放送しているとのこと

全く知らなかった

 

FM東京””ユーミン”と聞くと、

毎週日曜日、午後5時から放送していた”サウンドアドベンチャー”を思い出す

確か、それ以前の何年かは、”サタデイアドベンチャー”という名前で毎週土曜日午後5時から放送していたと記憶している

 

ユーミンの曲で番組が始まり、リクエスト曲を中心に放送されていた

特に、恋愛相談コーナーが楽しみだった

「恋愛の教祖」と呼ばれていたユーミンの絶妙な恋愛アドバイスを、毎週車の中で興味深く聞いていたことを思い出す

 

1982年(昭和57年)から2002年(平成14年)まで放送されていたそうだ

僕が20代から30代、あっという間に過ぎ去った青春を謳歌していた時期

そんな時代に放送されていた番組だ

当時デートの定番は愛車でのドライブ

 

FMラジオから聞こえるユーミンの声

二人きりで同じ時間を共有する悦び

夕暮れ時の寂しさ

いつまでも一緒にいたいという切ない想い

車から降りて”またね”って手を振る笑顔の彼女

見えなくなるまで立って見送る彼女をバックミラーで確認し、

ブレーキランプで”またね”のサインを送る

一人で自宅に帰る憂鬱

寂寥感とともに楽しかった1日が終わる

 

あの頃の甘酸っぱい青春の記憶が蘇り、なんとも懐かしく切ない気持ちになる

結婚してから、毎週末、家族で外食に行くときにもよく聞いていたっけ

 

ユーミンのあの独特な声と語り口は、青春の1ページを思い出させてくれる僕にとってのかけがえのない財産だ

 

今年は、民放ラジオ99局が共同で、ユーミンとラジオの魅力を伝えるキャンペーンを展開中だそうだ

10月にリリースされるベストアルバムの50曲は、リスナーのリクエストで決められ、

全ての曲がリスナーの人生に寄り添い、それぞれのエピソードがブックレットで紹介される予定という

早く聞いてみたい

 

綺麗に咲いてくれた玄関前の花

 

ウエイトレスさんを大声でなじる男 ”反面教師”

9月に入って最初の土曜日

午前4時に目が覚めた

書斎に入り、メール、ブログ、Facebookをチェック

 

午前5時、窓の外が若干明るくなってきた

残念ながら曇り空だ

パジャマを着替え、ウエストポーチにスマホを入れ、耳にshockzを掛けてウオーキングに出かけた

透明な迷宮(平野啓一郎著)をAudibleで聴きながら

 

家に帰って、髭を剃り、神棚の榊の水を替え、塩、米、水を供え

そして、床の間の花瓶の水を替えた

それを日課としている

 

午前6時45分、家人と二人、自転車でデニーズに向かった

毎週、土・日はデニーズで朝食をとっている

もう10年程になるだろうか

いつの間にか、馴染みのウエイトレスさんもできた

この方は旅行とお酒が大好きで、

僕たちにお土産を買ってきてくれたりもする

何人かの常連さんとも顔見知りになった

何日か前には、常連さんの老夫妻から「良かったらこれ食べて下さい」と

ビニール袋に入れたミョウガをいただいた

自宅の庭から収穫したそうだ

この老夫妻は、なんと365日、ここで朝食をとっているのだという

ここにも一つのコミュニティが出来ている

 

デニーズには、「セブンカフェ」を目当てに通っていた

しかし、今年の3月からエチオピアモカのアラビカ豆を使用したドリップ珈琲に変わった

最初はがっかりしたが、慣れるとこの珈琲も美味い

 

先日のこと、珈琲マシーンが故障し、エチオピアモカが飲めないことがあった

客に事情を説明し謝るウェイトレスさんに、僕たちの後から入ってきた70代と思しき男性が、

「おかしいじゃないか、そんなことあるのかよ」

と大声で、ウエイトレスさんをたしなめた

彼女は、「大変申し訳ありません」としきりに頭を下げていたが、その後も、かなりしつこく絡んでいた

 

そんなことで大声を上げるなんて

一人前の大人として恥ずかしい

いかにも心に余裕がなく、器が小さいだろう

好きな珈琲を飲めなくてがっかりしたのは分かる

だけど、やっぱりそこは、ぐっとこらえないと

それなら、また来ますといって、踵を返す方がまだましだ

仕方がないでしょう、マシンが壊れてしまったんだから

ドリンクバーの珈琲は飲めるんだし

 

それを見て、僕はなんとも嫌な気持ちになった

そして、家人が僕に呟いた

””反面教師にしようね””

僕は、つくり笑顔で”そうだね”と答えた

 

誕生月に店からプレゼント

シェアーするために分割

 

奥日光2日目 ~Vol 3おわり

翌2日目の朝、5時に目が覚めた

あれだけ飲んだのに、不思議なことに二日酔いは全くない

多分お酒と同じ量の水を飲みながら飲酒したのが良かったのだろう

外は薄っすらと日が差す曇り空

気分はいい

家人を起こし、二人で露天風呂に向かった

先に一人入っていたが貸し切り状態と言っていい

ゆっくりとお湯につかり目を閉じる

 

60歳で定年退職し、あっという間に2年半が過ぎた

退職と同時にコロナパンデミックで、当初の計画が台無しになった

 

ヨーロッパ旅行はまだちょっと無理?

来月、紅葉の時期の旅行先は?

ピアノ教室はもう大丈夫?

放送大学は卒業?

今年は車を買い替えようか、やっぱり次もドイツ車?

母親は認知症の兆候?

子ども達は元気にしているだろうか?

等々・・・・

 

まだまだ、これからもやりたいことが山ほどある

やっぱり、一日一日を、明るく楽しく笑って過ごしたい、出来るだけ

そんなことを考えながら、自分のことを見つめ直してみた

 

風呂から上がり部屋に戻ると、既に家人は着替えを済ませていた

朝食まではまだ時間がある

ホテルを出て湯ノ湖を見て、湯元温泉寺、湯の平湿原、湯元源泉辺りを散策した

硫黄のいい匂いが心地よい

 

朝の湯ノ湖

 

湯元温泉源泉

 

途中、家人のペンギン歩きを見て吹き出してしまった

昨日の天空回廊1,445段踏破が相当きつかったらしい

僕は普段通りだ、ジム通いの効果かも?

ホテルに戻り、そのままレストランに入った

朝食もバイキングだ

貧乏性で、いつも食い過ぎ

腹八分を心掛けたが、やっぱり満腹になるまで食べてしまった

 

朝食後、再び露天風呂(4度目)に浸かった

チェックアウト後、フロントで、湯滝まで歩くためのルートを尋ねた

山(東)側のルートは熊が出るのでお勧めできないと言われたので、仕方なく、道路(西)側の遊歩道を歩くことにした

 

湯ノ湖(湯元温泉側から)

今度は湯滝を上から眺められた

多量のマイナスイオンを感じて気持ちいい

滝に沿って階段を降りると豪快な滝の勢いを更に肌で感じることができた

 

湯滝(上から)

来た道を引き返すと、湯ノ湖自然散策路の山(東)側の出口からリュックを背負った若い女性が歩いてくる

挨拶を交わし

「湯元温泉から歩いて来たんですか?」

と尋ねると

彼女は、

「はい、よく整備された道で歩きやすいし気持ちよかったですよ、鹿も見かけましたし」

「熊はいなかったですか?」

「いなかったですよ、是非歩いてみてください」

と笑顔で明るく答えてくれた

やはりこの女性も幸せそうだった

 

家人と2人、顔を見合わせ

山(東)側の自然研究路を歩いてホテルに向かった

確かに歩道はよく整備されている

巨木が生い茂り、多種類の苔が繁殖して、森林浴には持って来いのルートだろう

 

ホテルの駐車場から車を出し、戦場ヶ原の赤沼駐車場に車を停めた

観光案内所の職員に熊の出没について聞いてみた

「目撃情報は多いですが、今まで人に危害を与えた例はありませんよ」

と説明してくれた

熊除けの鈴を買い、歩き始めると、迂回路を示す案内板がある

青木橋のある自然研究路ルートは工事中で通れないとのこと

仕方なく小田代ケ原方面に向かって小田代歩道を歩くと、また、おひとりさま(女性)とすれ違った

挨拶を交わし、

「湯滝からですか?熊はいませんでしたか?」

と尋ねると

「はい、湯滝から1時間以上一人で歩いて来ましたが、熊はいませんでしたよ」

と教えてくれた

穏やかそうで笑顔が素敵な女性だった

そして、やはり、幸せオーラがムンムンしていた

女一人旅のソロ活、いいかも

 

20分ほど歩くと小田代ケ原の分岐点だ

そこで僕たちと同年代と思しき夫婦連れの奥さんから声を掛けられた

「亀の井ホテル」に泊まりませでしたか?

「えっ、はい」と答えると

「朝食が一緒で、奥さんの着ているブラウスを覚えていました」

という

それから、装飾関係の仕事をしていたからブラウスに興味があること、千葉県の松戸から電車で来たこと、学生時代から山登りが好きで日光白根山にも登ったことがること、

そして、即興でつくった俳句まで披露してくれた

話し好きの明るい奥さんだ

一方で、ご主人は全く声を発しなかった

小田代ヶ原に着くと、中高年男女20人程の団体さんが休憩所を独占し、弁当を食べ、楽しそうに大声で盛り上がっていた

「お二人の写真を撮りましょうか」

と声を掛けられたが、笑顔でお断りし、団体さんの脇をそっと通り過ぎた

 

小田代ヶ原(戦場ヶ原)

 

泉門池を見て、小田代橋を渡ると、帰りは近道をして赤沼橋まで歩いた

それにしても、夏休み中だというのに閑散としている

 

湯川を泳ぐおしどり

 

 

駐車場に戻ると、一瞬雲が晴れ、男体山が綺麗に顔を出した

三本松展望台駐車場まで車を走らせ、遅い昼食の冷たい日本そばを食べた

時計を見ると午後3時

 

冷たい日本そば

途中、東北自動車道の佐野サービスエリアで休憩した

そこで佐野ラーメンを食べ、家に着くと19時を過ぎていた

佐野ラーメン

2日間とも雲が多く、絶景を拝むことはできなかった

しかし、時折、日が差し、青空も垣間見えた

ホテルも、料理も、露天風呂も合格点

スマホ歩数計を見ると、昨日が17,022歩、今日は36,933歩

たっぷり歩き、知らない人たちともリアルにふれあうことができた

いい旅だった

次は9月?10月?どこへ行こうか?と、家人が笑顔で話しかけてきた

誕生日に奥日光に行ってきた ~Vol 2

龍頭の滝はやっぱり見応えがあった

中学校の修学旅行で初めてこの滝を見たとき、

その豪快さに圧倒されたことを今でも覚えている

半世紀近く前のことになるが、断片的に覚えていることがある

10月の紅葉の最盛期で滝の周りの木々が赤く染まり幻想的だったこと

綺麗な滝の景色が映った”しおり”や”葉書”を買ったこと

集合写真を撮ったこと

そこに初恋のあの子もいたこと

そんなことが薄っすらと記憶に蘇る

 

滝見台から見た龍頭の滝

 

滝に沿って造られた遊歩道を、滝に架かる橋まで歩いてみた

水はザーザーと激しい音をたて勢いよく流れていた

 

脇の遊歩道から見た龍頭の滝

 

橋の上から見た滝

 

戦場ヶ原を左手に見て車を走らせると、次は、湯滝だ

湯滝の水量は更に圧巻だった、特に今日は

多分過去に見た湯滝の中で一番では?と思う程

しばらく、滝見台に立って、勢いよく流れ落ちる滝を眺めながら

マイナスイオンを全身に浴びた

そして、瞑想した

清々しくいい気持ちだ

 

滝見台から見た湯滝

 

時計を見ると午後3時

戦場ヶ原を歩くため滝見台を降りようと手すりを見ると何か注意を促す看板が目に入った

熊の目撃情報と、熊に遭遇したときの注意喚起が書かれた看板だ

そして、遊歩道には熊除けの鐘

更に、夏休み期間中であるにもかかわらず付近はひっそりとして寂しい

家人の足取りは重く、なんとなく落ち着きがない

どうも熊との遭遇が怖いらしい

湯川に沿って15分ほど歩くと周りが薄暗くなってきた

人影も殆どない

僕もちょっと恐ろしくなったため、踵を返してホテルに向かうことにした

 

遊歩道上の熊除けの鐘

 

閑散として人影のない遊歩道

 

ホテルは湯ノ湖湖畔の「奥日光湯元亀の井ホテル」

ホテルの前の広場では、何人かの観光客と思しき人たちが野生の鹿と戯れていた

駐車場は殆ど満杯だったが、玄関正面に1台分のスペースを見つけてそこに車を停めた

フロントでチェックインの手続きをして、エレベーターに乗り部屋に入った

部屋は湯ノ湖側の3階

残念ながら窓からは湖は見えない

直ぐに浴衣に着替えて一階の大浴場に入った

外の露天風呂は比較的大きく、硫黄の匂いがプンプン漂う白濁色の硫化水素温泉の源泉

万座温泉草津温泉の湯質に近い気がする

筋肉疲労冷え性、皮膚疾患、婦人病、切り傷、糖尿病への効果が期待できるという

 

外はまだ明るい

貸し切り状態の湯にゆったりとつかり、ぼーっと空を眺めていると、何とも言えない充実感、達成感、幸せ感に満たされた

 

早く生ビールが飲みたい

 

部屋に戻ると家人はまだ戻っていない

家人が帰るまで待ち

浴衣のまま、二人で一階のレストランに降りた

夕食はバイキングだ

食べ放題の

湯葉、国産牛ステーキ、寿司

などをたらふく食べて

 

僕は生ビール2杯、ハイボール1杯と日本酒1合

家人は生ビール2杯とハイボール1杯

 

いい気持ちに酔っぱらって部屋に戻った

本日2回目の温泉露天風呂に浸かり、午後9時にベッドに入った

 

いい誕生日だった

 

1000字を超えたので、続きは、次回に書かせて頂きます

誕生日に奥日光に行ってきた ~Vol 1

8月25日は僕の誕生日

家人の誕生日であった4月27日には万座・草津温泉方面を観光した

今回は奥日光の湯元温泉に行ってきた

勿論、県民割・ブロック割を使って

 

当日は、午前4時30分に起床し、5時半過ぎに車で自宅を出た

京葉道路、首都高、東北自動車道を通り宇都宮インターで降りたのが午前9時頃

 

日光宇都宮道路を使わなかったのは、久しぶりに日光街道の杉並木を通ってみたいと思ったから

確か昭和55年のこと、自分で車を運転し、始めてこの杉並木を見た、そして、魅せられた

江戸時代にタイムスリップしたような、あの時に覚えた感覚は今も忘れない

その後、何度となくこの杉並木を通ったが、ここ20年は来ていない

それは、便利な日光宇都宮道路をいつも使ってしまっていたから

 

ところが、いざ来てみると、通行禁止でお目当ての杉並木は通れなかった

植栽後、約400年経過する杉の木を保護するため、

自動車排気ガス等による倒木や枯損を抑止するため、

今年の3月22日から通行止めにしているらしい

仕方なくバイパスを通り、日光側の杉並木入り口で車を降り写真だけ撮らせてもらった

日光街道杉並木

 

日光街道を右折し霧降高原に向かった

高原にある”天空回廊1,445段”を踏破したいと思ったから

しばらく走ると”霧降の滝”の案内板

入り口駐車場に車を止め整備された遊歩道を歩き始めると

一人旅と思わる中年?女性とすれ違い挨拶を交わした

今回の旅行で驚いたのは、女性のおひとりさまが多いこと

そして、みんな決まって幸せそうに見えること

10分程山道を歩くと展望台があり、小さな滝が見えた

写真機と三脚を抱えたおじさんが、

「ここよりも少し降りたところからの方がよく見えますよ」と教えてくれたので、

ありがとうございますとお礼を言って、

歩きにくい山道を降りてみたが、おじさんがいう程の成果は得られなかった

霧降の滝

車に乗り、霧降高原を目指してカーブが連続する登りの道を走った

目的地に着くと人影はまばら

レストハウスの案内板には、

ニッコウキスゲの見頃は6月下旬から7月末頃”

と書かれている

8月末ではもう遅いようだ

しかし、青紫のリンドウや濃いピンクのアザミなどの花々も、可憐で美しかった

以前ここに来たときはスキーのリフトを使ったように記憶していた

聞くと、平成22年に撤去しこの階段を造ったらしい

何とか1445段を踏破し、展望台に昇ったものの、残念ながら霧で殆ど景色が見えない

まさしく霧降高原である

霧の天空回廊1,445段

リンドウの花

目的地の展望台に書かれている”あいことば”を確認し引き返した

下りは、階段に沿って設置されている迂回路を歩いたため登りよりも随分楽に降りられた

普段から運動しない家人は、登りの階段が相当体にこたえようで

「膝が笑っている、明日が怖い」と何度もつぶやいていた

 

空はどんよりと曇っていたが、ときより太陽が顔をだし青空も見られた

雨が降らなかっただけでも”よし”としよう

80代と思わる老夫婦とすれ違った

腰を曲げ、杖を突いてゆっくりと階段を昇っていた、お互いを気遣いながら

これには感心させられた

コロナ禍であっても、いや、だからこそ、リアルな何気ない人との会話や触れ合いを求めている

そして、それが、旅の楽しみの一つでもある

 

レストハウスで担当職員に合言葉を言って、1,445段踏破のスタンプを押してもらった

1,445段踏破のスタンプ

 

自動販売機でペットボトルの水を買いその場で飲むと

冷たい水がのどの渇きを癒し、この上なく美味しく感じられた

そして、同時に踏破の達成感も味わうことができた

 

日光市内を中禅寺湖に向かって車を走らせた

神橋を左手に見て、東照宮、浦見の滝を素通りし、いろは坂を昇り切ったところにある明智平展望台駐車場に車を停めた

しかし、ここも雲に覆われ全く景色が見えない

ロープウエイも動いていない

晴れていれば、華厳の滝を上から一望できる絶好の場所なのに

諦めて、中禅寺湖畔の蕎麦屋”いなりや”さんで昼食をとった

家人は”きのこそば”、僕は”湯葉そば”を味わった

温かい湯葉そば

店を出ると雲間に青空が見える

もしかしてと思って、20分程車を走らせ半月山展望台に向かった

晴れれば、中禅寺湖男体山の大パノラマが広がるという展望台

残念ながらここでも見えるのは鼠色の雲ばかり

がっかりして、来た道を引き返した

 

さあ、次は、龍頭の滝だ

長くなってしまったので、続きは次回Vol2として書いてみたいと思っています

ボックスティッシュを60箱貰った

8月20日土曜日、家人の車を運転した

僕の実家に向かうため家人を助手席に乗せて

 

乗り込んだ車内はとても蒸し暑かった

エアコンのスイッチを入れ、冷房温度を最低の”Low”に設定すると、

直後に、バイクのエンジン音のような大きな音がする

ぶぅーん、ぶぅーん、というような強烈な異音

 

24℃に設定温度を上げると音は止まった

冷房は問題なく効くのでそのまま車を走らせた

 

実は、その前日の19日、金曜日に、家人の車は1年点検を終えたばかりである

明細書を見るとエアコンのエアーフィルターを交換してある

これが原因かも?

 

自宅に帰ってディーラーの営業担当に電話した

夕方の6時半頃に来てくれるという

 

意地悪く嫌味の一つでも言ってやろうかな、とも思っていたんだけど、

僕は、その時間帯は、スポーツジムで汗を流している最中だ

予め予約してあった「スタジオレッスン”グループファイト”」は、どうしてもキャンセルしたくない

 

仕方なく家人に対応を頼んでジムに出かけた

 

レーニングを終えて、シャワーを浴び、着替えた後、更衣室でスマホを見ると

営業担当からの着信履歴があった

家人からは「車は直った」とLINEが入っている

 

安心して帰宅すると、

玄関に大きな段ボール箱が置いてある

家人が何か電化製品を買ったのかなと思った

しかし、なんと、ティッシュペーパーのボックス60箱だという

ディーラーが置いていったのだそうだ

 

故障の原因は、

エアーフィルターの中に葉っぱが入っていて、それが異音を発生させていたらしい

営業担当と直接整備をした若い整備士が2人で来て10分程で直していったという

2人とも平身低頭だったとのこと

若い整備士は、

「私がやってしまったんです、申し訳ありません」

と土下座でもしそうな勢いで謝ったという

家人は「特に支障はなかったから気にしないでね」

と、優しく慰めの言葉をかけたらしい

 

その後、営業担当から電話があり、

「ご迷惑をおかけしました、あってはならないことです」

と、これ以上の謝り方はないという程、丁寧に謝っていた

僕は、大量のボックスティッシュを貰ったことに対してお礼をいい電話を切った

 

やっぱり嫌味の一つも言えなかった

言う気にもなれなかった

 

””自分を低くすると水はこちらに流れてくる””

 

という誰かが言っていた言葉を、ふと、思い出し、嫌味を言おうとしていた自分を恥じた

 

ジムで汗を流した後のビールは格別に美味い

よく冷えたビールを飲みながら思った

 

今日もいい一日だった

さて、ボックスティッシュはどこにしまおうかな

 

玄関に置いてあった段ボール箱

ボックスティッシュペーパー60箱

 

八月や六日九日十五日 ~ 反省を促される月 ~

例年8月は、

6日の8時15分、9日の午前11時2分、15日の正午に1分間の黙とうをする

1945年(昭和20年)終戦の年にあった2度の原爆の投下と、この戦争で犠牲になった方々のことを想う

「八月や六日九日十五日」

と読まれるこの句は俳句の世界では有名らしい

 

この戦争で、僕の母の兄が海軍兵として出征し戦死している

母の実家の仏壇で、水兵服を着て胸を張って映っている若い伯父の白黒写真を見るたびに、若くして人生を終えざるを得なかった無念さを感じ、切ない気持ちにさせられる

そして、いつも思う

僕の顔にそっくりだと

 

靖国神社に参拝するとき、広島や長崎の平和公園で祈るとき、そして、8月6日、9日、15日にはいつもこの伯父の、白黒の写真の顔を思い浮かべる

 

僕は、終戦の14年後の8月に、この伯父が暮らした母の実家で生まれた

ふと、自分のことをこの伯父の生まれ変わり?と思ったりもする

この伯父にいつも守られていると感じることさえある

 

 

8月12日は、御巣鷹山日航123便の墜落事故があった日だ

この日のことは今でも鮮明に記憶に残る

 

8月は、少し心が重く、切なくなる月

天から反省を促される月

 

そのような中で、間もなく僕の誕生日がまたやってくる

今年のその日には、奥日光の温泉宿を予約した

木々の緑の中でゆったりとお湯につかり、自分の人生を見つめ直してみたいと思う

勿論、家人と二人

 

 

↓ 8月の満月